センター試験も終え、これから私大の試験。まさに、受験の本番ですね。
先日のアンケートで、卒業式で「旅立ちの日に」を」合唱することになったと聞きました。ここ数年、卒業式の最後に3年生が「旅立ちの日に」を歌うのが定番となってきましたが、正直に言って2回の練習でまともに歌えるのか、とても不安です。この曲を知らない人も沢山いるのではないでしょうか。
そこで、個人で練習できるように、パート別のメロディーのリンクを貼っておきますね。
昨年の卒業式の歌は、とても良かった。しかしながら、皆さんなら、さらに素晴らしい歌声になると信じています。思い出に残る合唱にしましょうね。
3学年担当の先生方も、皆さん歌声を楽しみにしています。
からたちの花 作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰
山田耕筰について
この曲はあまりにも有名な唱歌で、歌詞の中に「からたちのそばで泣いたよ。みんなみんな優しかったよ」とあるが、果たして誰が泣いたのか??ここが疑問であった。普通に考えれば、作詞をしたのが北原白秋なので、白州自身かと思うのが通常であろう。しかし、調べていくと山田耕筰の貧しかった江陰時代のことであることがわかった。山田耕筰といえば、日本で初めて管弦楽団(オーケストラ)を組織した人物であるが、父が病気で倒れ少年期から青年期までは相当苦学をしたようだ。食うにも食えず、酸っぱくて食べられないからたちの実をかじりながら空腹に耐えていたようである。当時、活版工員(印刷業)で働いていた耕作の自伝には下記のように書かれている。
「工場で活版工に足蹴りをされたりすると、私はからたちの垣根まで逃げ出し、人に見せたくない涙をその根方に注いだ。そうした時に畑のおばさんが示してくれる好意は、嬉しくもあったが反って辛くも感じられた。しばらく乾いたほおが、またしても涙に濡れるからだ」と書かれている。その後、肺を患い鎌倉で静養。最愛の母も18歳で亡くし、その後、浅草橋の教会の一室に身を置き、上野の音楽学校(現在の東京藝樹t大学)で猛勉強。その後ドイツに留学。数々の名曲を残す。
この曲は北原白秋との出会いの中で生まれた曲である。
次の歌を参考にしてください。
「この道」作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰
山田耕筰は「この道」について下記のように語っているそうです。
「世の誰よりも母に愛され、世の誰よりも母に慈くしまれた私は、世の誰に もまして母を思ふ心切である。『この道』を手にした私は、いとけなかりし日 を想ひ、あたたかい母の手にひかれて、そぞろ歩きした道を偲び、ありし日の あはい追憶に耽らずにはをられなかつた。私は亡き母の愛にひたりながら、静 に『この道』を唄ひいでた。どうか母を慕ふ心をつれびきとして、この小さい 歌を唄つて下さい。」
参考(聴き比べてくださいね)